- 略歴 -
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1873年
明治6年11月24日、愛知県に、父川合勘七、母かな女の長男として生れる、本名 芳三郎
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1890年
幸野楳嶺の塾に入る
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1895年
京都開催の内国勧業博覧会出品の橋本雅邦作「龍虎の図」と「十六羅漢」をみて、深く感動する
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1896年
24歳で橋本雅邦の門に入る。麹町一口坂に住む
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1898年
日本美術院創立、雅邦に従ってこれに加わる
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1908年
師、橋本雅邦死去、享年74才。玉堂を中心に芸術を論じ風流を楽しむ山水会が生れる
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1910年
イタリア万国博覧会監査委員に任命せられる
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1915年
東京美術学校教授を拝命
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1919年
帝国美術院会員となる
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1924年
小堀鞆音、下村観山、山元春挙、竹内栖鳳、川合玉堂、横山大観、六人の淡交会生れる
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1928年
昭和天皇御即位大典用品として、悠紀地方風俗屏風の揮毫を拝命、記念章を授与せられる
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1931年
フランスレジョン・ドヌール勲章を拝受、イタリア皇帝グランオフイシエー・クーロンヌ勲章を拝受
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1933年
ドイツ政府より赤十字第一等名誉章をおくられる
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1935年
帝国美術院会員に任命せられる、11月、勲三等瑞宝章を賜る
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1940年
紀元2600年式典当日、文化勲章をうける
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1944年
東京都下西多摩郡三田村町、御岳に疎開
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1945年
牛込若宮町で戦災にあい焼失、12月三田村御岳に移り「偶庵」と称する
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1955年
「大観、玉堂、龍子三人展」開催、名誉都民・青梅名誉市民に推薦
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1957年
昭和32年6月30日逝去、享年84歳(勲一等旭日大綬章を賜る)